『ツィギー旅に出る』
うっすらとももいろにそまった花びらがふりつもる町です。
しんとした宙をはらはら、はらはら、花びらが雪のように一枚、また一枚、散っていきます。遠くで女の人の誰かを呼ぶ声。子供の笑い声。
「おう、我が世の春という日だなあ!」知らない紳士にとつぜん声をかけられてツィギーがびっくりしてみあげると、紳士はなにか大変気分がいいといった風情で足元をよろめかせながら花の下を歩いていってしまいました。
あなたは覚えておられるでしょうか、もうずいぶん前にプッピンが帽子をつくっていたとき、余ったハギレをのりではりあわせてポッペンがつくったぬいぐるみを。つぎはぎのクマのツィギー、彼は魔女子さんの助手としてあれからずっとめざましい活躍をしていたのでした。
そのツィギーが今、肩にはらりとくっついた花びらを指でつまんで思うのです、 「この花がみんなサクランボになって、赤くつやつやした宝石みたいな実をみんながおいしそうにたべる頃には、ボクはどのへんにいるだろう」
バラが咲いたあとはバラの実、ミカンの花のあとはミカンがなるように咲いた花はかならずや実となるんだよと魔女子さんに教わったツィギーでした。道に迷ったときは道ばたの石に聞くとよい、いちばん利口だからと教わったツィギーでした。そのツィギーが置き手紙をして、魔女子さんの留守中にそっと出てきたのです。
<たいへんながくお世話になりました。ぼくは旅にでようと思うのです。 そしていつかきっとここに帰ってきたいと思うのです。ツィギー>
こんな早い春の、サクランボになる前の花がはらりはらりと散っている時こそは旅立ちにうってつけなのではないか? とつぎはぎの背中を伸ばしながらツィギーは思うのでした。そして魔女子さんに教わった「陽気な口笛」というものをしきりに吹きながら、勇み足で花の中を歩いていったのです。
ところでツィギーが手紙を書くのに用いた筆記具は「朝のパンのかけら」でしたから、そのうち窓から入ってきた鳥たちが文字を全部たべてしまいました。
それで、魔女子さんが仕事から帰ってきたときには、窓辺の机には何も書いていない真白な紙がおいてあって、その上にはうすももいろの花びらがいちまい、のっかっているだけだったのです。
旅に出るといって、行くあても本当はなかったのです。
ツィギーは前に魔女子さんに読んでいただいた科学の本の中に、ただひたすら前を歩いていくと、いつかは元の場所に戻るという記述があったことを覚えていて、それならば遠方へでかけることもできそうだし、また道に迷うこともなく、いつかは魔女子さんのところに帰ってくることができる、と考えて実行に移したわけなのです。
で、ツィギーがひたすらまっすぐに歩いていますと、長いしっぽがもつれて困っている猫に会いました。 「結び目をほどいてくれたら、いいことをおしえてあげる」と猫はいいました。それでツィギーは意外に難儀しながらも、しっぽの結び目をほどいてあげました。
「いいことって?」
ツィギーが聞くと、「この先まっすぐ行くと、三つに道が分かれているところがあるよ。その中できみは、きっと真ん中の道を行くといい」
それだけ言って猫は影のように走っていってしまいました。
なるほど、猫のいうとおり、ポプラ並木のはずれまでくると道が三つに分かれていました。妙な標識が立っています。一番左の道は「過去へつづく道」、それから「現在へつづく道」、「未来へつづく道」というのです。
さきほどの猫がツィギーにすすめたのは、真ん中の「現在へつづく道」。
それで、ツィギーが真ん中をいこうとすると、道ばたの石ころが歌うのでした。
「この前、おばあさんが左の道をずっと歩いていったよ。おばあさんはどんどん若返り、ついには子供になって忘れてしまったよ、どうしてこんなところを歩いているのかってさ」ラ、ラ、ラン、ラ、ラ、ラン!
それでもツィギーが真ん中の道を行こうとすると、こんどはカラスが飛んできました。
「きみ、真ん中の道を行こうだなんて、いちばん地味じゃないかね。パーッと、おもしろいものを見たいとは思わないのかね」
パーッとおもしろいもの…それがツィギーにはどんなものをさすのか、わかりませ
ん。
ツィギーの頭の中は、いつか読んだ科学の本のことでいっぱいです。
ツィギーは短い両手を大きく振りながら、思いきって真ん中の道を進みます。
現在へとつづく道を…
そのとき、風がさあっと吹いてきました。
その風は魔女子さんからの便りをのせた風でした。
「こちらは春の香水づくりも終わってほっとしています。みんな元気だから心配しないように」
風はそんなことを伝えて、再びさあっと通りすぎていったのです。
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